勇気を出し、思い出して思うこと

いじめって、やってる方はたぶん楽しくって仕方ないんだと思うのです。

 

もう、辞められな〜いのよって、快感を味わってる。

 

あと、人間としてなのか精神的っていうのかな、その人そのもののレベルが低いから「そんなこと自分がされたら」なんて考えることが出来ないのではないかと。

 

欲望しかない低次元のところにいる人なんでしょう。

 

レベルが高い人や低い人がいて、高い人が苦労してるのかもしれません。

良くわからないですけどね。

なんとなくそう思います。

 

 

そんな事、今だから言えるけど、私はその時受けた「いじめ」が、結構トラウマになっていました。

 

 

あ、でも、歳を重ねるごとにマシになってます。

 

 

大人になって、あの人〇〇ちゃんの同級生よねって聞いただけで、その話は続けたくないとか、同級生が私の妹に「〇〇ちゃん元気?今度同窓会やろうと思ってるけどどうかね?。」って言ってたって聞いただけで寒気がするなど、何故かゾワッとしてしまうのです。

 

 

選挙権が得られて初めての選挙(国会議員の)があったときのこと。

その時、ゴリラの家の宗教の関係で推している候補者に投票しろと仲間と一緒に電話して来たことがあります。まだ、20歳だったのですが、その時「そういう事はしたらダメなのが分からんのんか?ばーか!大体、こっちに電話してくるなアホ。」と言ってやりました。

ゴリラは何も言い返せない様子でした。

言われ慣れてないのでしょう。

集団で来るから言えなかっただけで、直接本人になら、いくらでも言い返せます。

弱い人間は一人ではこちらに来れないのです。

それ以来ゴリラからの電話はありません。 

 

 

ポジティブだけど、心底女の人を信じてない時があったりします。(その人によりますが)

 

なんとなくその人となりが分かってしまったり(いい人とかそうでないとか)、なかなか難しいですね。

 

こんなに時が経ってるというのに、中学校の時のことだって、選挙のゴリラとのやりとりだって結構鮮明に覚えてるもんなんですよね。

 

こういう記憶って特にかもしれないです。

 

 

 みんなは忘れてても自分はずっと忘れてない、ここには触れてはいけない。

 

自分でも腫物にでも触るかのように接して、ずっと死ぬまで鍵のついた箱にしまって、鍵をかけて誰も開けられないようにしてる感じのもの。

 

時間が過ぎても、生活する中で何らかの支障をきたしてたりしてたような気もします。

(無意識に) 

 

 

誰も気にしてないことでも気になってみたり、自分の中で以上に動揺してたり、表面には全然でなくても心の傷はそんなに簡単には消えたりはしないのかなと思います。

 

そういうのがトラウマになるって感覚なのではないかと。

 

 

 

思い出して文章にすることで、なんだかスッキリしたような気がします。

 

私にとっていい事したのかもしれない。

 

内観するというんですかね。

 

傷が深い時には難しいかもしれないけど、このくらいになると普通に私の人生の物語の一つくらいになります。

 

 

みんなが、思いやりをもって接することが当たり前のように出来れば、悲しむ人が少なくなるのになって思います。

 

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